コケ蔵
新しい出会いがある春ですね〜。
私が勤める施設にも新卒の社会人が入職して、懐かしい眼差しを向けております(笑)
新卒を見ていると思い出しますね。
10数年前大学の卒業が間近に迫った3月の頃。
私はまだ福祉の世界に進むかどうか迷っていました。
福祉系の大学に通っている周りの友人からも
「福祉は給料が低い」
「福祉は3Kだ」
なんて話している人は山のようにいました。
「俺はやっぱり公務員になる」
「家業を継ぐことになった」
と離れていった友人も多いです。
私は社会福祉士の受験に落ちていましたが、とりあえず福祉を習ったのに経験せずに離れるのはもったいないなぁと思い、福祉(介護)の世界に進んで過ごしてきました。
そんな私が福祉の世界に居続けた理由はいくつかありますが、クライエントとの関わりは大きな理由の1つでしょう。
今回は、過去を振り返るとともに、今でも思い出すなんだか心に残ったクライエントの言葉をまとめてみました。
コケ蔵
目次
「あんただから飯おごってやるよ」
70代くらいのAさん。
脳性麻痺で体が上手く動きませんが、自分の体の3倍はあろうかという電動車椅子に乗ってビュンビュン、スイスイ施設内を走ってました(笑)よくタバコに火をつけてほしいと連れて行かれたものです。
3年間くらい介護でお世話になりましたが、その頃にはなんでも相談にきてくれるようになってました。
「コケ蔵さんよ〜!!ちょっと困ってるから手伝ってくれや!!」
とか言いながらガンダムみたいな電動車椅子で呼びにくるんですね。
周りの人を轢きそうになりながら。
昔ながらの心優しき頑固者(もちろん良い意味でですよ)そんなAさんでした。
そんなAさんとの関わりもある日終わりがきます。
私が法人内の異動で別の施設に移ることになったんです(同じ敷地内ですが)
新しい施設に異動した今のような4月中旬のお昼頃、上司から急に呼び出されました。
「コケ蔵くん、お客さんが来たみたいだよ〜」
施設の玄関までいくとAさんがガンダムみたいな車椅子で訪問してきました。
「コケ蔵さんよ〜、お世話になったお礼にご飯食べてけや!!」
と半ば無理矢理に近場のレストランへ。(上司の許可はもちろん得ました!)
ランチでハンバーグ定食をいただきました。
そこのレストランは景色が良くて晴々として、穏やかな日だったことを今でもはっきり覚えています。
お昼代は自分で出すつもりだったんですけどね。
「コケ蔵さんよ〜、3年間ありがとなあ!本当良くしてもらったわ!あんただから飯おごってやるよ!ありがとな!」
‥嬉しかったですね。
自分が確かに誰かの役にたった。それを認めてもらえたような感覚かもしれません。
コケ蔵
あの時のお礼が忘れられなくて、福祉の仕事を続けたとも言える一言でした。
「アイスノンも知らねえのか!?」
みなさんはアイスノンって知ってますか?
大学を卒業して介護業務に就き、数ヶ月。
ある一室からナースコールが鳴ったため向かいました。
その居室に住む方は自立度が高いため、数ヶ月あまり関わることなく過ごしていたBさんがいました。
居室を訪問して一言。
「アイスノンとってくれないか?」
当時アイスノンがわからなず戸惑う私に、
「アイスノンも知らねえのか!?お前馬鹿か!?そこの冷蔵庫に入ってんだろ!!」
と怒鳴りつけてきました(笑)
その一件から関係は最悪に。
ナースコールが押されて訪問するも、
「お前じゃダメだ!!別なやつを寄越せ!!」
と完全に嫌われモード。
私が「ご用をおっしゃってくれたら私でもお手伝いできると思います」
なんて言っても火に油。
「ふざけてんじゃあねええぞおお!!!」
と大火事レベルで上司出動って感じでした。
それでも仕事と割り切ってナースコールが鳴れば何度でも訪問していくうちに、少しずつ少しずつ関係が築けて来ました。
逃げ出したくなるような大声と理不尽さを感じながらも逃げませんでした。
その根本には、悔しさがあったからだと思います。
「アイスノンも知らねえのか!?」
理不尽さ、悔しさを強く感じる一言で、絶対見返してやると私が意地になって仕事を続ける原因となった一言だったかもしれません。
「大晦日くらい寿司が食いてえ」
首から下が麻痺して動かせないCさん。
とても聡明で介護中もいろんなことを教えてもらいました。
介護として働いて1年目の大晦日も迫った12月末。
介護の先輩とCさんの居室を訪問した時にCさんから言われました。
「大晦日くらい寿司が食いてえ。◯◯(先輩の名前)、金は出すから買ってきてくれ。お前らの分もおごってやるから」
入所施設だと料理も決まっていますし、家族のいないCさんは職員に頼ってきたんですね。
その後は介護の先輩が率先して動いてくれていたのですが、大晦日にお寿司を用意することができました。
年末の夜中にお寿司を食べるCさん。
その表情は本当に本当に嬉しそうでした。
「大晦日くらい寿司が食いてえ」
その人が願い幸せの手伝いができるやりがいがある仕事なんだと感じた出来事の、始まりの印象深い一言でした。
一人ひとりの出会い
今回は介護現場で働いていて仕事を続けるきっかけとなった印象深い言葉を書いて見ました。
が、当然言葉が喋れない人とも多く関わってきましたし、印象深い出来事もいっぱいあります。
クライエントとの出会いも10数年あればざっと数百人以上いるでしょう。
一人ひとりとの出会いに思い出があり、それらの積み重なりが福祉の道を今だに歩んでいる理由だと思います。
福祉の世界ほど、人の願望や辛さ、喜怒哀楽に向き合う仕事はないのではないでしょうか。
楽しい思い出は人と人との関わりの中で生まれる、が私の持論です。
クライエントとの関わりは苦労する場面がかな〜り多いですが、こんなに他者と喜びを共有できる仕事もあまりないのではないでしょうか。
誰かから必要とされることは嬉しいし、必要としている人がいる。
そんな福祉の世界だから10数年続けることができたと思います。
今回紹介した言葉を言った大抵の方はすでにお亡くなりになってますが、今でも心に残っている言葉です。
これからもそんな言葉や体験が増えていくと思いますので、今後もこのブログでも紹介して行けたらと思います。